noteにダークウェブについて書きました

note.mu note.mu ところで、これは記事の内容とは直接関係はないのだが、グーグルでダークウェブについて検索してみたら、どこかのニュースサイトの記事に行き当たり、そこではダークウェブについての、「危険!」だとか「絶対に近づいてはいけない!」とい…

noteに東山翔論をアップしました。

noteに『東山翔論――絶対的自由へ向けて』をアップしました。 note.mu最終章以外は無料で読めますが、当方万年金欠ですのでsubscribe感覚で購読して頂けると助かります。 とはいえ、はやくも全文を書き直したい(特に4章以降)という誘惑に駆られていますが、…

汚辱に塗れた獣たちの…… ――『ズートピア』試論

こうしたあいまいで、冗長かつ不完全な記述は、フランツ・クーン博士が『支那の慈悲深き知識の宝典』に見られると指摘している記述を思い起こさせる。はるか昔のその著述の中で動物は以下のように分類されている。(a) 皇帝に帰属するもの、(b) バルサム香で…

『Merca β03』に寄稿しました

Merca(アニメルカ)公式ブログ 『Merca β03』(アニメルカ×マンガルカ×ジャズメルカ――) 目次『Merca β03』に木澤佐登志名義で論考「月の徴しの下に――アニメーションにおける器官なき身体」を寄稿しました。 石岡良治さんと泉信行さんと高瀬司さんによるレ…

日記7 (2015.11.28)

2015年11月28日 コミックLO2016年1月号所収の町田ひらく『紙の襞』のストーリーをここでわざわざ要約するつもりはないし、『紙の襞』というタイトルの元ネタは果たして『紙の月』だろうかそれともサルバドール・プラセンシアの『紙の民』だろうか、といった…

日記6 (2015.11.26)

2015年11月26日 またブックオフで本やCDを適当に売って作った金で立川シネマシティの『ガールズ&パンツァー 劇場版』極上爆音上映に行く。 ガルパン劇場版極爆上映、とにかく素晴らしいの一言に尽きる。思えばアニメ作品での立川シネマシティ極爆上映は初め…

日記5 (2015.11.11)

2015年11月11日 三宅唱監督の『THE COCKPIT』はそもそも「クリエイションとは何か」というテーマのドキュメンタリーでもあるので必然的にメタフィクショナルな構造を持っているのだが、とはいえ単純なメタフィクションともいえない「複雑さ」があると思う。…

日記4 (2015.11.2)

2015年11月2日 鬱で何もできず雨も降っているため一日中在宅。シュリヒテ・シュタインヘイガー(ドイツ産の安物ジン)をテイスティンググラスに注ぎそこにアンゴスチュラ・ビターズを数滴垂らして飲む。まるでバーボンみたいな色になるがこれがとても美味し…

日記3 (2015.10.30)

2015年10月30日 シャマランという偉大な「天然」を前にどのような批評をしたところで「天然」といういかなる批評をも飲み込みかねないブラックホールを前には無力なのではないか、というシャマラン映画に向き合った時に常に覚える諦念感。今作においてもPOV…

日記2 (2015.10.1)

2015年10月1日 雨がっぱ少女群の新刊『熱少女』を読み返すごとに、LO作家の中に雨がっぱ少女群ほど自身の中に葛藤と分裂を抱えながらもその分裂を半端な誤魔化しと共に統合せず分裂を分裂のまま生き抜いている作家が他にいるだろうかという思いが強くなる。…

日記1 (2015.8.30)

個人的に書き貯めている日記から一部を抜粋(日記なので思いつきで書き飛ばしている部分あり)。2015年8月30日 ドゥルーズ『マゾッホとサド』読了。なんとなくだがこの本はフーコーに対する当て付けのように思われた。その理由として、まず、この書において…

『リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード』私的私感

アニメーションとは魔法である。なんという単純なアナロジー。なんという分かりやすいメッセージ。しかし、内容と形式が完全に一致したとき、すなわち、アニメーションとは魔法である、というメッセージをまさしく魔法のような完璧なアニメーションによって…

アニメーション・ポリリズム

世界はリズムで満ちている。 例えば、自然には四季の周期があり天体には公転周期や自転周期がある。人体にはサーカディアン・リズムという体内周期がある。 複数のリズムが同時に存在すればポリリズムが生まれる。例えば、サーカディアン・リズムが23時間の…

白石晃士『ある優しき殺人者の記録』についての覚書

●『ある優しき殺人者の記録』は映画についての思考を迫るような映画である。つまり一種のメタ映画である。 ●しかし『ある優しき殺人者の記録』(以下『ある優』)の作中で映画について言及されるシーンは一箇所しかない。(『素晴らしき哉、人生!』について…

『たんぽぽの卵』試論

「この国の隅から隅まで みんなウルサイな――」 ∴ 前期~中期の町田ひらく作品においては一対一であれ一対多であれ、そこには基調となる何らかの人間関係がありまたそこから演繹される何らかの人間ドラマがあった。しかし『たんぽぽの卵』にあっては例えば中…

町田ひらく試論

ふとしたことで不可視の世界を幻視してしまうのではないか、という不安。初期の頃から町田ひらく作品を通底しているオブセッションはこのような種類の不安と関係している。例えば『蜃気楼回線』では間違い電話の留守録が主人公と不可視の世界を偶然に繋いで…

エロリ漫画私感

エロ漫画を読むという孤独な営み、容易な物語化を拒む一回性の出来事としてその都度立ち上がってくるような種類の営みの裏側には、エロ漫画を描くという、ある意味ではよりいっそう孤独な営みが存在している。それは性的なオブセッション等の精神医学的に解…

アニメの瞬き、それと超越論的アニメ批評

手塚治虫がアニメに導入したリミテッドアニメーションと3コマ撮りの手法によって日本独自のアニメのスタイルが確立されたというのがアニメ史における定説だが、なぜそもそも3コマ――1秒に約8枚という少ない枚数でも機能するのか、要は動いてるように見え…

東映という<制度>を自分でブチ壊してみせた高畑勲

白状すると僕は今の今まで高畑勲という存在にまったくと言っていいほど関心を持ってなかったし、『となりの山田くん』も『おもひでぽろぽろ』も観てない自分に、高畑勲について語る資格がそもそもあるとも思えないのだけれども、それでも何かを書かなければ…

アニメと写生文

アニメにおけるリアリズムについて思考するとき僕が最初に考えるのは「文学」だ。周知のように映画はカメラに映った光をそのままフィルムの上に保存する、つまりは生の、リアルそのもののメディアなので「リアリズム」という思想自体があまり用をなさない。…

のんのんびよりの4話は凄かったね

アニメブログやインターネット掲示板の類をまったくといっていいほど見ないので「のんのんびより」4話がどのような評価を受けてるのかまったく知らないのだけれど、個人的には久々のクリーンヒットだった。ここでは主にBパートの例の止め絵長回し演出につい…

世間では吾妻ひでおを所謂「オタクカルチャー」、または「萌え」の始祖とする向きがあるようだが、どうだろう。吾妻ひでおが「萌え」に与えた影響は認めるにやぶさかでないにしても、吾妻ひでおを萌えの「始祖」とまでするにはよほど慎重にならないといけな…

レンズ的リアリズムと目玉的リアリズム

「リアリズム作画」と言っても一言でそう簡単に割り切れるわけではない訳で。この作画はリアルだ、もしくはリアルっぽい、と言ったときに、その「リアル」もしくは「リアルっぽい」とは具体的にどういうことなのか、ということをキチンと掘り下げて問われる…

江藤淳(3)

ついこの間、近所を歩いていたら景観にふとした違和感を覚えた。そのとき私は交差点で信号待ちをしていたのだが、横断歩道の向こう側に何となく眼をやったとき、これは「何処か」が違うと直感的に思った。違和感の正体はすぐに気づいた。交差点の対角線上に…

江藤淳(2)

西田幾多郎を読んでいると時々意表をつくような文章に出会えることがある。例えば次のような文章。(太字引用者) 『哲学研究』第百二十七号に掲載さられた左右田博士の論文を読み、私は近頃初めて理解あり権威ある批評を得たかに思う。今間を得て、私の考え…

江藤淳(1)

1999年。この年、児童ポルノ法の制定と江藤淳の自裁という二つの出来事とともに20世紀は幕を閉じた。それは、とりもなおさず同時に批評の歴史の終わりをも意味していた、というのが私がここで提示したい仮説である。 児童ポルノ法の制定と江藤淳の自裁…

スクリーンの向こう側にあるのが大きな物語であろうとデータベースであろうとぶっちゃけ自分にはどっちでもいいし、どうでもいい。スクリーンの向こう側に物語を志向する人間もデータベースを志向する人間もスクリーン自体は見ていない。自分がアニメを見る…

スクリーンの手前で立ち止まること

野田努が初音ミクの製作者佐々木渉との対談においてこんな発言をしていた。 野田:ブラック・ドッグですかぁ。それは面白いですね。当時のテクノはロックのスター主義へのアンチテーゼというのがすごくあって、自分の正体を明かさないっていう匿名性のコンセ…

ロックから渋谷系へ――「けいおん!」から「たまこまーけっと」へ――

というタイトルだけ思い付いて後は特に何も考えてないんだけど、まあ「けいおん!」と「たまこまーけっと」のOPを聴き比べるだけでもロックから渋谷系への移行が行われているというのは誰の目にも明らかなわけだけれども。トポス論的に見ても「けいおん!」…

雑感

それにしても、と僕は思う。 日本には、アニメに関する批評が存在しない。批評家が存在しないだけでなく、批評の場そのものが存在しない。 (「庵野秀明はいかにして八十年代日本アニメを終わらせたか」東浩紀) 東浩紀が上のように記したのは1996年で、…