2013-01-01から1年間の記事一覧

エロリ漫画私感

エロ漫画を読むという孤独な営み、容易な物語化を拒む一回性の出来事としてその都度立ち上がってくるような種類の営みの裏側には、エロ漫画を描くという、ある意味ではよりいっそう孤独な営みが存在している。それは性的なオブセッション等の精神医学的に解…

アニメの瞬き、それと超越論的アニメ批評

手塚治虫がアニメに導入したリミテッドアニメーションと3コマ撮りの手法によって日本独自のアニメのスタイルが確立されたというのがアニメ史における定説だが、なぜそもそも3コマ――1秒に約8枚という少ない枚数でも機能するのか、要は動いてるように見え…

東映という<制度>を自分でブチ壊してみせた高畑勲

白状すると僕は今の今まで高畑勲という存在にまったくと言っていいほど関心を持ってなかったし、『となりの山田くん』も『おもひでぽろぽろ』も観てない自分に、高畑勲について語る資格がそもそもあるとも思えないのだけれども、それでも何かを書かなければ…

アニメと写生文

アニメにおけるリアリズムについて思考するとき僕が最初に考えるのは「文学」だ。周知のように映画はカメラに映った光をそのままフィルムの上に保存する、つまりは生の、リアルそのもののメディアなので「リアリズム」という思想自体があまり用をなさない。…

のんのんびよりの4話は凄かったね

アニメブログやインターネット掲示板の類をまったくといっていいほど見ないので「のんのんびより」4話がどのような評価を受けてるのかまったく知らないのだけれど、個人的には久々のクリーンヒットだった。ここでは主にBパートの例の止め絵長回し演出につい…

世間では吾妻ひでおを所謂「オタクカルチャー」、または「萌え」の始祖とする向きがあるようだが、どうだろう。吾妻ひでおが「萌え」に与えた影響は認めるにやぶさかでないにしても、吾妻ひでおを萌えの「始祖」とまでするにはよほど慎重にならないといけな…

レンズ的リアリズムと目玉的リアリズム

「リアリズム作画」と言っても一言でそう簡単に割り切れるわけではない訳で。この作画はリアルだ、もしくはリアルっぽい、と言ったときに、その「リアル」もしくは「リアルっぽい」とは具体的にどういうことなのか、ということをキチンと掘り下げて問われる…

江藤淳(3)

ついこの間、近所を歩いていたら景観にふとした違和感を覚えた。そのとき私は交差点で信号待ちをしていたのだが、横断歩道の向こう側に何となく眼をやったとき、これは「何処か」が違うと直感的に思った。違和感の正体はすぐに気づいた。交差点の対角線上に…

江藤淳(2)

西田幾多郎を読んでいると時々意表をつくような文章に出会えることがある。例えば次のような文章。(太字引用者) 『哲学研究』第百二十七号に掲載さられた左右田博士の論文を読み、私は近頃初めて理解あり権威ある批評を得たかに思う。今間を得て、私の考え…

江藤淳(1)

1999年。この年、児童ポルノ法の制定と江藤淳の自裁という二つの出来事とともに20世紀は幕を閉じた。それは、とりもなおさず同時に批評の歴史の終わりをも意味していた、というのが私がここで提示したい仮説である。 児童ポルノ法の制定と江藤淳の自裁…

スクリーンの向こう側にあるのが大きな物語であろうとデータベースであろうとぶっちゃけ自分にはどっちでもいいし、どうでもいい。スクリーンの向こう側に物語を志向する人間もデータベースを志向する人間もスクリーン自体は見ていない。自分がアニメを見る…

スクリーンの手前で立ち止まること

野田努が初音ミクの製作者佐々木渉との対談においてこんな発言をしていた。 野田:ブラック・ドッグですかぁ。それは面白いですね。当時のテクノはロックのスター主義へのアンチテーゼというのがすごくあって、自分の正体を明かさないっていう匿名性のコンセ…

ロックから渋谷系へ――「けいおん!」から「たまこまーけっと」へ――

というタイトルだけ思い付いて後は特に何も考えてないんだけど、まあ「けいおん!」と「たまこまーけっと」のOPを聴き比べるだけでもロックから渋谷系への移行が行われているというのは誰の目にも明らかなわけだけれども。トポス論的に見ても「けいおん!」…

雑感

それにしても、と僕は思う。 日本には、アニメに関する批評が存在しない。批評家が存在しないだけでなく、批評の場そのものが存在しない。 (「庵野秀明はいかにして八十年代日本アニメを終わらせたか」東浩紀) 東浩紀が上のように記したのは1996年で、…

『たまこまーけっと』より『ビビッドレッド・オペレーション』のほうが優れている理由

ランドセルの音の有無。ビビッドレッド・オペレーション2話 演出:益山亮司 原画:野中正幸(?) このシーンを見たとき気絶しそうになった。これは完全にホンモノの音を使ってますね。生々しいまでの質感。留め具をあえて外しているあたりも演出の本気度を…

圧縮の快楽

沓名健一が公開沓名塾で「3コマ以上落として再生してるような動きを脳内で補完する快楽がある」みたいなことを云ってた*1けどその通りだと思う。たまこまーけっと2話アバンのフル2コマタイムライン系作画なんて正直どうでもいいのだ。あんな一部の作画オタ…

Nujabes「Spiritual State」レビュー

Nujabesの「Spiritual State」はマクドナルドと靖国神社の間に位置しているアルバムである。1曲目から放たれる恍惚を誘うトライバルなパーカッションとウェルメイドな美メロピアノという組み合わせはNujabesサウンドの一つの到達点を指し示していると共に一…

スカスカした感じ

今週のマギ13話の野中正幸パートは実に素晴らしく、僕はほとんど反射的に「これはもしかしてファンクではないか?」と思ってしまったほどだ。過度の中抜きによるスカスカ感は初期ファンクのスカスカ感(音の隙間)と通底しており、つんのめるようなタメツ…

アニメにおける最小二乗法的線形回帰⇒超コード化と分子的/微分的振動(=揺らぎ)を巡る原理的考察その1 ダンス論/資本主義批判

2012年12月31日付けのNHKニュースWEBに「ことしの有感地震 3000回超」という記事が載っているのを見つけた。NHKオンライン このデータは図らずも日本人の身体感覚そのものの変容をも象徴しているように思われる。人々は常に「揺れ」を感じている、感じず…