インターネットの敗北

今回の地震で考えた(ほとんど)唯一のこと、それはインターネットの敗北ということ。散々デマを拡散させまくったインターネット(ツイッター)に対し、自ら自分の足を使って被災地の避難所に救援物資を届けた江頭2:50の行動が(なかばヒーローのように)評価されたのは象徴的な事件だったと言っていいだろう。この鮮やかな対比、仮想空間上における不特定多数の人間による抽象的な情報の転送と、現実空間における単数者によるリアルな物質の転送、という対比(さらには情報の速度の対比にも注視していただきたい、方や光の速度、方や救援物資を積んだ2トントラックの速度の対比を、である)における後者の勝利は、さらにはその後者の評価が、何をか言わんや、前者であるツイッターによって(文字通り光速で)広められたという事態は、いったい何を意味しているのだろうか。もちろん私はそれについてなんら解答らしきものを持っているわけではないが、今回の震災でひとつわかったことは、もはや我々はインターネットに代表される高度情報通信メディアの勝利を盲目的に確信しているわけにもいかない、ということ。(今回の震災のように)いつ反動的な揺り戻しが来るかわからないのだ。そして今回よりさらに深刻な震災が日本を襲ったとき、インターネットがラッダイトの対象にならないなどとどうして言えようか。そしてその時がインターネットの敗北、すなわち死なのである。