海外の『serial experiments lain』コミュニティについて

今年(2018年)は『serial experiments lain』20周年ということで、ファンの有志によるイベント が開かれたり、脚本家の小中千昭氏がブログを開設したりと、各所で『serial experiments lain』を回顧する催しが行われているようです。

そこで、この記事では、そういった盛り上がりとは一見したところ無関係の場所で営まれている『lain』コミュニティを紹介することで、『lain』の受容層の広がりと深さの一端をお伝えしたいと思います。

 

 

■lainchan

海外のインターネットには、いわゆるchan系と呼ばれる、日本の「ふたば☆ちゃんねる」に端を発する匿名画像掲示板が数多く存在しています。その中でも、『serial experiments lain』をモチーフとするchan系画像掲示板が、この「lainchan」です。

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「lainchan」は、2014年4月に設立された、サイバーパンクとテクノロジーとカルチャーに特化した匿名画像掲示板で、他と同じく様々なテーマの「板」によって構成されています。たとえば、/λ/(プログラミング)、/sec/(セキュリティ)、/Ω/(テクノロジー)、/inter/(ゲームとインタラクティブ・メディア)、/drug/(ドラッグ)、/zzz/(意識と夢)、等々。おわかりいただけるように、『serial experiments lain』そのものを語るというよりは、これら様々な領域を横断して現れる共通のイコンとして『lain』=岩倉玲音のビジュアルが用いられている、と言ったほうがいいでしょう。

加えて、このコミュニティの特徴として、年齢層がとても若い、ということが挙げられます。InstallGentoo Wiki記述によると、管理人チームは全員10代の若者で、前運営者だったKalyxは、設立当時14歳だったとも言われています。

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■/lit/

すべての板を紹介する余裕はないので、ここではあえて/lit/(文学板)を紹介してみます。SF小説や『serial experiments lain』公式ファンブックに関するスレッド、自作ポエムを投稿するスレッドなどが立ち並んでいますが、中でも「S H A R E T H R E A D」という、その名のとおり書籍を「シェア」するためのスレッドがアナーキーさで群を抜いています。

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ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』やハルキ・ムラカミに交じって、銃器や簡易地雷の作り方から格闘術、外国人が書いた怪しげな「忍術」の書、オカルトや陰謀論、さらには白人至上主義の本まで、無数の書籍がPDFやEPUBファイルで無断アップロードされています。アンダーグラウンドといえばまさしくアンダーグラウンドなわけですが、とはいえ違法アップロードはもちろん推奨されるべき行為ではありません。

 

■Lainzine

また、「lainchan」では有志たちが集まって『Lainzine』という名の非営利のWebzineを不定期に発行しています。もちろん誰でも無料で読むことができます。

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内容は多岐にわたっており、プログラミング、ネットワークセキュリティと暗号化、電子機器の修理方法、ゲーム機のハッキング、グリッチアートの作り方、ダークウェブでドラッグを購入する方法、スタンガンの作り方、夢日記、小説、エッセイ、トランスパーソナル心理学に基づいた変性意識と自己変革の勧め、等々、どれも『lain』とは直接的にはほぼ無関係ですが、しかしきわめて『lain』的としか言いようがないトピックが並びます。

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中には明らかに法に触れていそうなトピックも含まれているので、あまり人に勧めるのはお勧めできません。

 

■arisuchan

さて、「lainchan」は2016年の9月にKalyxが運営から退き、代わりにAppleman1234が新たな運営者となっています。その際、一部の管理メンバーが新運営者の方針に異を唱え、その結果、「lainchan」から分化する形で「lainchan.jp」という掲示板が新たに生まれます。その後、「lainchan.jp」は「arisuchan」と名前を変え現在に至っています。言うまでもなく、arisuとは、ここではルイス・キャロルの幼い恋人の名前ではなく、岩倉玲音の親友の名前を指していると思われます。

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 あくまで「lainchan」の姉妹サイトなので、「板」の構成こそ若干違えど、雰囲気はだいたい「lainchan」と同じです。

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ちなみに、/λ/(プログラミング板)では、なぜかアニメキャラクターがプログラミングの参考書を読んでいるコラ画像をよく見かけます。

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『計算機プログラムの構造と解釈(SICP)』を手に持つ様々なアニメキャラクターたち。

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これは『計算機プログラムの構造と解釈』を熱心に読み耽る雪村あおいの様子です。

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『The Little Schemer』を一緒に読んでほしいと懇願してくる萌えキャラ。

 

■TSUKI Project

ここでchan系画像掲示板コミュニティから一旦離れて、変わり種として紹介したいのが、TSUKI Projectと呼ばれる謎めいたコミュニティです。f:id:shiki02:20180702232934p:plain

TSUKI Projectは、去年テック系のWebメディアMOTHERBOARDが報じたことで、海外インターネットユーザーの間でも若干知られるようになりましたが、それでもまだまだアンダーグラウンドかつオンリーワンな存在感を醸し出しています。

「サイバーパンクな死後の生を約束する謎の4chan宗教」と題したMOTHERBOARDの記事では、TSUKI Projectは「アニメ自殺カルト教団」(anime suicide cult)と表現されています。「アニメ」と「自殺」と「カルト」という、なかなか凄い並びの文字列ですが、一体全体どんなコミュニティなのでしょうか。

TSUKI Projectとは、Tsukiというハンドルネームの16歳の若者が2017年1月頃に開始した「プロジェクト」。Tsukiは、以前から自身の頭の中で"Systemspace"と呼ばれる「第二の世界」を構築していました。同時期に匿名画像掲示4chanの/r9k/にTsuki自身が立てたスレッドにおいて彼は、今の世界は消えつつある、しかし多数の人々の共同作業によって人類は新世界に移行することができるようになる、と主張しました。最初はネタだと思って相手にしなかったanon(=名無し)でしたが、徐々に耳を傾ける人々が増えていきました。

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次にTsukiは、スレッドの人々に紙を用意し、"a62cd92b2104acbd928ccb29"というコードと適当に思いついた絵を描いたのち、その画像をアップロードするように指示しました。それはひとりひとりの魂の座標を把握するためで、指示に従った人々には"EIDs"と呼ばれるIDが個別に発行されました。ちなみに、Tsukiが各"EIDs"をまとめた手書きのメモ画像には、見たことのない国の言語が書かれていたのですが、それはやがて"Synapsian"と呼ばれる独自の人工言語として体系化されていくことになります。

またTsukiは、同スレッドにおいて、この「登録」の作業を自動化するためのサイトを目下構築中であると宣言しています。このサイト(Systemspace.link)は同年3月に完成し、TSUKI Projectのいわばポータルサイトとして運用が開始されます。トップページには、東京を思わせる街並みを背景にこちら側を振り向く岩倉玲音のビジュアルが用いられています。

急速に体系化&肥大化していったTsukiの思想(=妄想?)をここで網羅することはもとより不可能ですが、要は「死後の生」と「サイバーパンク」をミクスチャさせた疑似宗教と言うことができそうです。彼の教義には数えきれないほどの造語と専門用語が頻出しますが、重要となるキータームはさほど多くありません。

Tsukiによれば、宇宙は"Systems"という無数の仮想現実によって構成されていると言います。その中の私たちが住む仮想現実空間は“Life”と呼ばれ、宇宙を司るエネルギー"Aurora"の漸進的枯渇によって消滅の危機に瀕しています。そこで、"RISEN"と呼ばれる企業は新たな集合宇宙(omniverse )である"Systemspace"を設立。いわば"Systems"のリブートと言えるわけですが、その過程で古い"System"である“Life”は"Systemspace"との接続を切断され、やがて消滅する運命にある。しかし、"RISEN"と提携関係にあるTSUKI Projectを介して事前にサインアップした人々は、“Life”が"Systemspace"から切断された後も魂は"Systemspace"に移行され、“Life”の上位階層にあたる"LFE"において第二の永遠の生を送ることになる……。ちなみに、先のMOTHERBOARDの記者が、メンバーの一人に"LFE"のイメージを尋ねたところ、「『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を思わせる近未来のトーキョー」という答えが返ってきたそうです。

以上はあくまで筆者の拙い理解による大雑把な要約にすぎません。より正確な教義を知りたい向きは、TSUKI Projectに関する難解なジャーゴンをまとめたTSUKI Project Wikiや、TSUKI Projectにおける聖典ともいえるSystemspace Compendiumを参照することをお勧めします。

さて、この教義の真の要諦は、2017年7月1日までにTSUKI Projectに魂のサインアップを完了させておいた者は、それ以降に死ぬと魂がTSUKI Projectに保管され、“Life”の消滅後に自動的に"LFE"に移行できるという点です。この「死ぬ」というのは、老衰であっても自殺であっても同じで、死んだ者は皆ひとしく"LFE"に「次元上昇」することが約束されます。

TSUKI Projectが「自殺カルト」と表現されたのはこのためです。もっとも、Tsuki自身は決して自殺を推奨していませんし、むしろ避けるよう公言しています。しかし、このセントラルドグマが、自殺志願者にとってある種の避けがたい誘惑となりかねないのも確かだと思います。

そもそも、Tsukiが最初にインターネット上に姿を現したのは、2017年の1月19日、Reddit上の「Maladaptive daydreaming」というフォーラムにおいてでした。Maladaptive daydreamingとは、DSMにも記載されていない、最近になって存在が確認されてきたマイナーな精神疾患ですが、簡単に言えば、強迫的な空想や白日夢によって日常生活に支障をきたす疾患とされています。Tsukiはそのフォーラムで、「自分の白日夢が8月28日までに死ねと言ってくる」というタイトルのスレッドを立てています。そこでは自身の"Systemspace"に関する教説を唱えながら、同時に「"Life"の崩壊を初期化するために8月28日までに自殺しなければならない」といった悲痛とも言える強迫観念や、"Systemspace"を「僕の白日夢の世界」と表現したりと、以降の体系化と抽象化を施された教義と異なり、明確にTsuki自身の、切れば血が出るような実存とオブセッションとに関わっていることが伺えます。したがってTSUKI Projectは、単なるロールプレイ的な"SFごっこ遊び"とも言い切れない「剰余」を抱えていることも確かだと思われます。

serial experiments lain』から随分遠く離れてしまったようにも思えますが、たしかにTSUKI Projectの教義そのものに『lain』が関わってくることはないとはいえ、サイトのトップページに岩倉玲音のビジュアルが載せられていること、さらにTsukiが掲示板の書き込みに併せて必ずといっていいほど岩倉玲音のキャプチャ画像を載せること、などからもTsukiの『lain』に対する偏愛は明らかです。そもそも『lain』自体が、とりわけTVアニメシリーズ前半において、サイバースペースである"Wired"を「死後の世界」の見立てとして提示していました(たとえばTVアニメ第一話は、自殺した同級生のメッセージが"Wired"から届くという導入でスタートします)。TSUKI Projectにおける"LFE"が一種の「死後の生」であるとするならば、『lain』における"Wired"との親和性は明らかです。他にも、キリスト教における千年王国思想、または日本のいわゆる「異世界転生もの」との類縁性も指摘しておきたいのですが、キリがないので今回はこの辺にしておきましょう。

TSUKI Projectは、2017年の8月に内部のゴタゴタがあったようでプロジェクトを休止していましたが、今年2月下旬頃に装いも新たに再始動。現在は新たな登録者を受け入れるための"Project Miracle Ribbon"なるプロジェクトが目下進行中であるとのこと。

 

■TSUKICHAN

おまけとして、TSUKI Projectの信者(?)が集うchan系画像掲示板「TSUKICHAN」のトップ画像を載せておきます。

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余談ですが、先に紹介した「arisuchan」は、TSUKI Project関係の避難所スレッドが立てられたりと、TSUKI Projectと少なからず親交があるようです。