日記6 (2015.11.26)

2015年11月26日

 またブックオフで本やCDを適当に売って作った金で立川シネマシティの『ガールズ&パンツァー 劇場版』極上爆音上映に行く。
 ガルパン劇場版極爆上映、とにかく素晴らしいの一言に尽きる。思えばアニメ作品での立川シネマシティ極爆上映は初めて観たが、劇場の音響面ではマッドマックス極爆上映以上に台詞の音量と効果音の音量調整の振り幅が大きい。恐らくこれはアニメ声優の声の音域が通常より高いため実写映画よりも台詞の音量を抑えているのだろうと思われる。作画面では吉田亘良が日常シーンのかなりのパートを担当しているようで、1カットに十数人のキャラクターが同時に出てきてもまったく線が溶けないのはさすがとしか言いようが無い。恐らく、最初に大きい原画シートに作画してその後デジタル処理で縮小しているのだろうが、アイドルマスターなんちゃらとかいう、1カットに4人以上のキャラクターが出てきた時点で線が溶けてしまうようなアニメとは比較すらできない(もちろん、アイマス総作画監督松尾祐輔氏を責めていのではない。『ヤマノススメ』という天才的な仕事を成し遂げた松尾氏がアイマスで充分な仕事ができなかったのはA1ピクチャーというスタジオの体質に責があると見なすべきだろう)。
 だがガルパン劇場版の真の本質性は、ミリオタに媚を売らないやりたい放題に滅茶苦茶やってる戦車コンバットでも良質な作画でも音響でも実はない。ガルパンとはまず何よりも優れた閉所/密室フェティシズム・アニメであり、このことを措いてガルパンを語ることは何も語っていないことに等しい。戦車の狭い操縦室に少女が3人も4人も"みっしり"詰め込まれて各々が一生懸命に何かやっている=作業している、というあまりにも官能的かつフェティッシュすぎるシチュエーション(この意味において戦車は「兵器」ではなく「工場」として立ち現れる)を発明した、このことだけでもガルパンはアニメ史における一大革命であり事件なのだ。見てみるがいい、ガルパンにおける戦車の室内シーンのレイアウトの見事さを。狭い空間というのはそれだけでもアニメーターのレイアウト力が如実に試されるものだが、ガルパンは戦車の内部という閉所空間を様々なカメラの角度から自在に構築し、さらにそこに3人以上ものキャラクターを無駄なく効果的に配置するという完璧すぎるレイアウトをいとも簡単にこなしているのである。これだけでもガルパンの閉所フェティシズムに対する”こだわり”が伺えるというものだが、しかしガルパンの閉所フェティシズム描写は何も戦車の内部だけで完結しているわけではない。映画中盤、主人公たちが疎開(?)した山林の学校での日常シーン、風紀委員の少女3人が放送室の畳一畳分くらいしか無さそうな狭い空間内に布団を敷いて”みっしり”とお互いが抱き合うように寝ているカットを見たとき、「うわ、ヤッバ~……」と思わず声に出して言ってしまった(どうでもいいけどこのカットを見たときポン・ジュノ監督の『ほえる犬は噛まない』のワンシーンを思い出した)。それまであくまで戦車内部という建前が存在していた閉所フェティシズム性が、ここではあまりにもあからさまに、かつ分かりやすい形で暴力的に爆発している。正直、このカットのレイアウトはここ数年見たアニメの中でも群を抜いてるのではないかと思われるくらい素晴らしくかつ強烈でありまた官能的であった。
 ガルパンにおける「閉所」への志向、それは例えばキャラクターの人数が異常に多いのも1つの画面になるべく多くのキャラクターを詰め込もうという倒錯した意志によるものだろうし、戦車の内部が閉鎖的な箱庭なら画面という四角く縁取られたフレームも同様に閉所フェティシスト達にとっては彼らの欲望を叶える格好の箱庭なのだ。

日記5 (2015.11.11)

2015年11月11日

 三宅唱監督の『THE COCKPIT』はそもそも「クリエイションとは何か」というテーマのドキュメンタリーでもあるので必然的にメタフィクショナルな構造を持っているのだが、とはいえ単純なメタフィクションともいえない「複雑さ」があると思う。例えば『THE COCKPIT』中に現れる箱というイメージが持つミクロコスモス的な性格一つを取ってもこの作品が生半可なドキュメンタリーではないということがわかる。以下では『THE COCKPIT』におけるメタフィクショナル構造を分析するために、主に作品中に出てくるナイキの箱とアパートの一室という箱、さらに『THE COCKPIT』自体という作品=箱、という三つの箱を俎上に載せて構造分析する。
 まずこのドキュメンタリーはOMSBらがアパートの一室に入ってくるシーンから始まり、フィックスされたカメラの前でOMSBが即興的にひたすらトラックを制作する。二日目にOMSBとbimが部屋に転がってたナイキの空箱を使ってルールから何まで即興的にその場で作り上げてゲームをする。その後そのゲームを元にしたリリックを書いて、レコーディング作業して楽曲が完成して終わる。ただこれだけの内容であるが、詳しく見ると意外なほどに厳密な照応関係がこのドキュメンタリーの基底部を律していることがわかる。
 まず、ナイキの箱の上で作られ繰り広げられるブリコラージュ的な遊戯の過程を説明したものが彼らのリリックの内容であり、というよりナイキの箱での遊戯それ自体が彼らにおけるアパートの一室の中での楽曲制作の過程や性質をトレースしているという意味でこれら二つの間には明らかな照応関係がある。さらに、彼らの楽曲制作の過程が、この『THE COCKPIT』というドキュメンタリー自体の制作過程やスタンスをトレースしている側面を持っているということは、パンフレットに書かれた松井宏による「製作ノート」を読めば明らかだ。

 編集作業はトータルで8~9ヶ月ほど。もちろんそのあいだ三宅はさまざま別の仕事もしているから、実質的な作業時間はもっと短い。時間が空けば彼の家にしょっちゅう自転車で行き、一緒にモニターを見続けた。ときに三宅が作業するかたわらで、ぼくは別の仕事をしたり、漫画を読んだり、ちょっかいを出してみたり、あるいはそこに鈴木や別の人間がいたり…。『THE COCKPIT』と同じだ。

 すなわち、ここにもある照応関係がある。ナイキの箱のゲームは彼らの楽曲制作を照らし、彼らの楽曲制作はこの映画、すなわち『THE COCKPIT』の制作過程を照らす、という三重の照応関係である。逆から見れば、『THE COCKPIT』という箱の中に彼らのアパートの一室=「コクピット」という箱があり、さらにそのアパートの一室という箱の中にナイキの箱がある、という風なマトリョーシカ的な入れ子構造をイメージすることもできる。
 それではこの『THE COCKPIT』という箱も何かに包摂されるのか、だとすれば何に包摂されるのか。恐らく何にも包摂されない。その代わり、スクリーンという鏡面を軸にして観客である我々が存在する「劇場」というもう一つの箱を鏡像的に照らし出す。アパートの一室=箱を見渡せて、目の前にOMSBが向かい合わせになるような位置にフィックスされたカメラは、鏡合わせのようにして向こう側の箱を見せると同時に、こちら側の箱にいる我々の存在をも意識させる。つまり、『THE COCKPIT』はその中にアパートの一室やナイキの箱などをマトリョーシカのように包含するが、この『THE COCKPIT』というミクロコスモス的な箱自体はスクリーンを軸にして「劇場」という箱と並列的に存在している。

日記4 (2015.11.2)

2015年11月2日

 鬱で何もできず雨も降っているため一日中在宅。シュリヒテ・シュタインヘイガー(ドイツ産の安物ジン)をテイスティンググラスに注ぎそこにアンゴスチュラ・ビターズを数滴垂らして飲む。まるでバーボンみたいな色になるがこれがとても美味しい。後はエチラームを舐めながら『ジル・ドゥルーズの「アベセデール」』をぼんやりと眺めて過ごす。伝説通り(?)ドゥルーズの指の爪がとても伸びていることを確認。
 『アベセデール』の中の「O(オペラ)」のチャプターで、少しだけフーコーに触れられる箇所がある。曰く、フーコーは音楽と親密に関わっていたが、それは彼の書物に書かれることはなく、秘密にされていた、と。フーコーバイロイト音楽祭に赴くなど音楽の世界と近かったにも関わらず、それを語ることはほとんどしなかった。確かにフーコーを読んでいても音楽について言及されることは稀に思える。
 個人的にフーコーと音楽との関わりで思い出されるのは、1975年にフーコーカリフォルニアはデスヴァレーのザブリツキー・ポント展望台で、LSDを服用しながらシュトックハウゼンの『コンタクテ』をポータブルのテープレコーダーで聴いていたというエピソードだ。

二時間後、シュトックハウゼンの音楽に耳を傾けザブリツキー・ポイントの高みから宙を見つめながら、フーコーは笑みを浮かべ、そして、のちのウェイド(引用者注:同行した歴史学の教授)の回想によれば、星に向かって手を伸ばした。彼は言った、「空が炸裂した、そして星がぼくのからだに雨のように降り注いでくる。これは真実じゃないとぼくにはわかっている、けれどそれは<真実=真理>なんだ」。
フーコーは黙ってしまった。
大思想家の頭が、サルヴァトール・ダリの描く時計のひとつさながらに、まだ溶けてしまってはいないことにおそらく安堵してか、ウェイドは古代シュメール人のあいだでの幻覚薬の使用についてべらべらしゃべり続けた。彼もまた、ついにふたたび黙りこんだ。
三人は頭上の真っ暗な天空を見つめた。背後では電子音楽が滝のように流れている。
(『ミシェル・フーコー/情熱と受苦』ジェイムズ・ミラー 邦訳261ページ)

 今この文章を書きながらクセナキスの『ペルセポリス』という、恐らくこの世で最初に作曲されたレイヴ・ミュージックを流している。この曲は実際に1971年にペルセポリス遺跡にて日没後に初演されたという歴史を持っている。会場に設置された100台のスピーカーから轟音ノイズが放射され、張り巡らされたレーザー光線が遺跡を照らし出す中、トーチライトを持った子どもたちが列を作って練り歩く。本来のレイヴ・ミュージックとはこのような一大スペクタクルではなかったか。レイヴとは何よりもまず、空に向けて、宇宙に向けて、音楽を放出することによって宇宙と大地とを有機的に結びつける祭典として登場した。そして恐らくフーコーも、シュトックハウゼンの『コンタクテ』をデスヴァレーと降り注ぐ星空のスペクタクルの只中でLSDとともに聴くことによって、大地と宇宙を身体的に結びつけたのだった。これこそまさしくレイヴ的体験なのではないだろうか。