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のんのんびよりの4話は凄かったね

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 アニメブログやインターネット掲示板の類をまったくといっていいほど見ないので「のんのんびより」4話がどのような評価を受けてるのかまったく知らないのだけれど、個人的には久々のクリーンヒットだった。ここでは主にBパートの例の止め絵長回し演出について書く。
 
 基本的にアニメでは登場人物の「行動」を積み重ねることで話を駆動させていくというスタイルが一般的である。例えば、登場人物Aがとある場所へ行き、そこで登場人物Bと会い、然るべき会話をし、次にまた然るべき行動へ移る。このように人物の「行動=運動」の蓄積からナラティブを紡いでいく手法においては、時間は人物の運動に従属し、時間が時間そのものとして立ち現れてくることはほとんどない。もっと言えば、「時間」という概念自体が希薄、もしくは存在しない。
 
 「よつばと」の作者は、「よつばと」をアニメ化しない理由について以下のように書いている。

で。えー、なんでよつばがアニメになってないかです。
一番大きいのは「よつばと!」をアニメにするのは、とても難しいってことです。
とりあえずアニメにする、ならできます。
例えば、よつばが綾瀬家に遊びに行くってシーン。
よつばがドアを開けて走っていって「こんにちはー」と言う。
カットをポンポンといくつか使って、数秒で終わりそうなシーンです。
それでいいなら出来そう。
でも、「よつばと!」なら、よつばがよいしょよいしょっと階段をおりてきて、てけてけと廊下を歩き、
でんっと玄関に座ってヘタクソに靴を履き、よっこらしょっと重い玄関のドアを開けて、元気よく家を出て行く。
そういう、普通アニメでカットされそうな描写もやらないと、アニメにする意味が無いと思うんです。
引用元

 上の発言はある意味でアニメの本質的な部分に触れている。要するに「よつばと」の作者はここで「アニメは<時間>を描くことができない」と言っているのだ。よつばが綾瀬家に遊びに行く、これは人物の「行動」である。それに対して、よつばがよいしょよいしょっと階段をおりてきて、てけてけと廊下を歩き、でんっと玄関に座ってヘタクソに靴を履き…というのは人物の「動作」である。物語とは何の関係もない細かい仕草や動作、これらは30分という時間的な制約と作画リソース*1という資本的な制約の下にあるTVシリーズのアニメにおいては必然的に省略されてしまうものである*2。しかし、このような省略の下では単一的な時間の流れが立ち上がってくることもまた無いであろう。

 のんのんびより4話は止め絵を用いることで作画リソースを消費せずに純然たる「時間」を現出せしめている。ピアノの劇伴とともに宮内れんげの顔に少しずつカメラが近づいていく。気づくとセミが鳴いており、そこで初めて時間が経過していたことに気づく。視聴者はそのとき時間の流れの中に身を置いている。
 このような止め絵による効果は、例えば出崎アニメにおける止め絵と比較すればその差異がよくわかる。出崎アニメの止め絵は時間を停止させることを狙いとしており、無時間的な性格のものである(そういう意味ではとても「アニメ的」である)。それに対して「のんのんびより」の止め絵は時間の流れを作動させる潤滑油のようなものとしてある。
 付け加えておくと「のんのんびより」的な止め絵は過去にも若干ながら見つかるものである。例えば旧エヴァにおける止め絵長回しの多用(有名なエレベーターのシーンなど)は作画リソースを節約しながら時間イメージを現前させている。しかしながらこのようなアプローチからエヴァを評価した批評を私は寡聞にして知らない。
 何はともあれ「のんのんびより」4話は素晴らしい回でした。

*1:例えば沖浦啓之のようなスーパーアニメーターならすべての仕草や動作を描くことも可能だろうが……

*2:人物の細かい仕草や動作にクローズアップした「かみちゅ!」のコタツ回はその意味で画期的であったと思う