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 世間では吾妻ひでおを所謂「オタクカルチャー」、または「萌え」の始祖とする向きがあるようだが、どうだろう。吾妻ひでおが「萌え」に与えた影響は認めるにやぶさかでないにしても、吾妻ひでおを萌えの「始祖」とまでするにはよほど慎重にならないといけないような気がする。
 吾妻ひでおコミックマーケット11にて同人誌「シベール」を販売したのは1979年。手塚治虫的な漫画キャラクターによるエロ表現は、この「シベール」を以って嚆矢とする、というのは教科書的な知識の確認である。なるほど確かに吾妻ひでおが「シベール」によって果たした意義は大きいし、「シベール」や吾妻作品には後年の萌えカルチャーの要素が既に含まれていることも確認できるだろう。しかし、そのような現在の萌えカルチャーの位置に立って、80年代の吾妻ひでおの仕事を遡及的に眺める姿勢には、単なる「萌えの始祖」というレッテルに還元できないような吾妻本来の固有性や特異性を取りこぼす危険があるのではないか。実際昨今の、吾妻を「萌えの始祖」とする評価はその多くが単なる還元主義に堕しているように私には思える。
 雑誌「ふゅーじょんぷろだくと(1981年10月号 特集「ロリータ あるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」)に、吾妻ひでお内山亜紀、谷口敬、蛭子神健など当時のロリコンブームを牽引していた作家や編集者による座談会が組まれている。そこで吾妻ひでおは司会の「まず最初に皆さんがロリコンであるかどうかということを確認してみたいと思います」という質問に対し、はっきり「僕は違います(キッパリ)」と答えている。さらに、

司会 やっぱり(ロリコン)ブームとか言われていますけど、まだ市民権は得ていないと
吾妻 なんでロリコンがブームになるかわからない。ありゃあブームでするもんかね

 とも言っている。この座談会での吾妻のトーンは、他の出席者達のそれとは明らかに異質であり、ロリコンブームそのものへの批判性がある、という点で特筆に値する。このようなロリコンブームの渦中にいながらも一歩引いた客観的な姿勢は「吾妻ひでお大全集(奇想天外・臨時増刊号1981年)」所収の吾妻ひでおインタビュー<PART5>ロリータ編にも仄見える。

インタビュアー どうですか。最近ロリコンブームに関して、何か責任の一端を感じることはありませんか。
吾妻 僕はそういう徴候を見て、影響された方だから、それは特に僕の責任ではないです。

 ここで吾妻ひでおは自分はロリコンブームの始祖ではないと断言しているのだが、これを単なる韜晦と受け取るわけにもいかないだろう。さらに「今の人はアリス趣味の人が多い」「幼女指向。幼女というかアリス!ワシラよりもタチが悪い!」「破滅すればいいと思っている(笑)」という発言からも、シベールに影響を受けた若手の「萌え」指向から一歩距離を置く批判的姿勢が感じ取れる。
 ところで、先の「僕はそういう徴候を見て、影響された方だから」という発言の「そういう徴候」とは具体的にどのようなものなのだろうか。このことを知るためには当時の、具体的にはシベール発刊(1979年)前後の文化背景を抑えておく必要性がある。まず、最初にロリータ的なものがアンダーグラウンドで出現し始めたのは、私が確認した限りでは「現代詩手帖」の編集者だった桑原茂夫がキャロル特集号を組んだ1972年であり*1、ほぼその直後には種村季弘がキュレーターになったアリス展が画廊人魚館で開催されている。さらに翌年の1973年には沢渡朔による少女ヌード写真集「少女アリス」が刊行され、80年代のロリコンブーム時には聖典の一つにまで崇められた。1974年のユリイカ「総特集オカルティズム」では表紙に「少女アリス」からの図版が採用されている。種村季弘ユリイカ、オカルティズムと並べてみれば分かる通り、当時はアリス的なものとサブカルチャーとオカルティズムとアカデミズムがケイオティックに混在していた。1975年にはグラフ雑誌「アリス出版」が設立され、1977年には清岡純子によるヌード写真集「聖少女」が出版、アカデミズムの側では高橋康也ルイス・キャロルをノンセンス文学の文脈から論じた「ノンセンス大全」が出版され、後の高山宏の「アリス狩り」(1981年)の下地を作った。この頃になるとSFも俄に表舞台に出現し始め、1978年の「月刊OUT8月号」で「吾妻ひでおのメロウな世界」と題された特集が組まれ、SFの文脈から吾妻ひでお作品が採り上げられる。江古田に喫茶店「漫画画廊」が出現し、そこにアニメオタクや蛭子神健や狐ノ間和歩を含むロリコンが集まるようになったのもこの頃であろう。吾妻の先の発言の「そういう徴候」とはざっと見て以上のような時代背景を指している。
 以上を鑑みても、「シベール」による達成を吾妻一人に帰することはできないように思う。そもそも「シベール」は吾妻ひでお沖由佳雄の二人による構想であり、「ALICE」というコピー新聞を発行し、漫画画廊にも出没し、さらに蛭子神健を吾妻ひでおに紹介した沖由佳雄は「シベール」においても重要な役割を果たしていたのではないかと思われる。
 とはいっても以上に見たようにロリコンブームの祖を吾妻ひでおに求めることはできないということは言えるにしても、そこから現代の萌え文化の元型を「シベール」に求めることはできないと一概にして言うことは不可能であろうし論点がズレてくる。萌え文化とシベールの対応関係を検証するには漫画作品そのものの分析が不可避であり、文献学や系譜学的なアプローチでは自ずと限界があるであろう。ただ、ここで言いたいのは、現代の萌えカルチャーの諸要素から鏡写しのように遡及して吾妻ひでお作品を検討しようとする身振りは倒立的であり転倒しているということである。そのような還元主義によっては、1980年に開始された「純文学シリーズ」や、吉行淳之介の短編を思わせるシュールリアリスティックな自伝作品「夜の魚」「笑わない魚」(1984年)を経て、「失踪日記」、「地をはう魚」と私小説的漫画へとドライヴしていった吾妻ひでおの軌跡の必然性や、ロリコンブームの渦中にあって「なんでロリコンがブームになるかわからない」と冷静に言い放つクールさを含めた吾妻ひでおの「過剰さ」や「固有性」は一生わからないであろう。他に依存することなく、吾妻ひでおの漫画作品の只中に身を置き、吾妻ひでお作品そのものの「強度」を掴み出すこと。このような実践を達成したときに初めて、何物にも還元できない吾妻ひでお本来の単独性と可能性が姿を現すだろう。

*1:しかし1969年には既に種村季弘が復刊したばかりの「ユリイカ」にアリス論を寄稿している