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江藤淳(1)

批評

 1999年。この年、児童ポルノ法の制定と江藤淳自裁という二つの出来事とともに20世紀は幕を閉じた。それは、とりもなおさず同時に批評の歴史の終わりをも意味していた、というのが私がここで提示したい仮説である。
 児童ポルノ法の制定と江藤淳自裁は一見無関係に思える。しかし、この二つの並行して起こった出来事は、その実細く張り巡らされた糸によって緊密に結びついていたとしたらどうだろう。というようなことを書くと、江藤淳は実はロリコンであった、などというような下世話な与太話と受け取られかねないが、もちろんそうではない。私がここで問題にしたいのは、ひとつの時代精神、おそらくは戦後から児童ポルノ法の制定によってピリオドを打たれる1999年までの時代精神と、その時代精神に常に寄り添ってきた(江藤淳という)ひとつの個人の精神の絡み合い、である。といっても、一回分の記事の文章に纏めるのはしんどいので、今後気ままに少しづつ書き足していくという形式を採りたい。もちろんこれは希望的観測に過ぎないので飽きたらほっぽり出す可能性もある。要は気分次第である。