スカスカした感じ

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 今週のマギ13話の野中正幸パートは実に素晴らしく、僕はほとんど反射的に「これはもしかしてファンクではないか?」と思ってしまったほどだ。過度の中抜きによるスカスカ感は初期ファンクのスカスカ感(音の隙間)と通底しており、つんのめるようなタメツメのタイミング操作はエレクトリック・マイルスの「オン・ザ・コーナー」と共振している。奇しくもテレビアニメ「鉄腕アトム」が放送された1960年代はファンクの黎明期でもある。James Brownが「papa's got a Brand new bag」を発表したのは1965年だが、手塚治虫は既にその2年前に音数の少ないスカスカな黒人音楽のエッセンスを、3コマ打ちとリミテッドという手法によってアニメに取り入れていたのは注目に値する。手塚治虫が開拓した3コマ打ちはその後、うつのみや理磯光雄によって新しいリアリズム技法として洗練化され、松本憲生山下清悟など今にまで至る流れを形作ることになる。しかし、野中正幸の3コマ作画は前述のアニメ的リアリズムの系譜からは明らかに逸脱するような過剰を内包しているように感じる。私見だが松本や磯のフル3コマ作画は今見てもそれほどのスカスカ感は無い*1。おそらくこれはリアリズムに裏打ちされた流れるような作画がスカスカ感をうまく相殺しているからである、といった解釈が妥当だろう。しかし、野中の3コマは、3コマ打ちのスカスカ感が露骨に顕在化されており、よって黒人感を否応なしに高めている。ここに彼の天才性がある。
 一方ファンクはその後、80年代にクラフトワークを採り入れたエレクトロ・ファンクを経由しながらテクノやヒップホップにまでその「スカスカ感」を地下茎のように伝播させていくのだが、ここではその詳細な歴史には立ち入らない。だが参考までにクラフトワークとファンクの類似性について野田努石野卓球が発言しているところを引いておこう。

野田 ところで、なぜクラフトワークは黒人に支持されたのだろう?
石野 音の隙間だよ。スタックスってあるじゃない、ブッカー・T&ザ・MG'sの。クラフトワークの作る空間が、初期のソウル、初期のファンクなんかに共通する音の削ぎ落とし具合、スカスカな音っていうのに近かったんじゃないかな。
(「テクノボン」石野卓球 野田努

 我々は当たり前のように「オン・ザ・コーナー」や「プラネット・ロック」を聴きながら萌えアニメを視聴する時代に突入しようとしているのかもしれない。


野な回想
リトルバスターズ13話の野中パート。僕たちはこの黒人的スカスカ感を受け入れなければテン年代をサバイヴすることはできない。

Miles Davis - On the Corner (1/2)
野中とエレクトリック・マイルスの相性、また、ポリリズムと日本のテレビアニメーションにおける可変的かつ複数的なフレームレートとの類似性と親和性はどの程度のものか?僕たちはまだ知らない。

The Meters - Cardova
名盤

Timmy Thomas - Cold Cold People
チープすぎるリズムボックスと気だるいオルガン。テン年代にTimmy Thomasを聴く意義と妥当性とは何か。

Jonzun Crew - Pack Jam
エレクトロ・ファンク。スペーシーなイメージとヴォコーダーという組み合わせから「DAICON4オープニングアニメ」を想起された向きは慧眼である。なぜなら「DAICON4オープニングアニメ」とこのアルバムはどちらも1983年に発表されているからである。このシンクロニシティと同時代性は今後詳しく検証される必要性がある。ちなみにJonzun Crewを見出したのはアフリカン・バンバータの「プラネット・ロック」をプロデュースしたアーサー・ベイカー。

Plastikman - Plasticity
「テクノ・ディフィ二ティヴ」で野田努か三田格のどちらかは忘れたが「アシッドにハマるコンポーザーには二つのタイプ、音数を増やすタイプと逆に音数を極端に減らすタイプがいてリッチー・ホウティンは断然後者だ」的なことを書いていたが、これをアニメーターに類推するなら田中宏紀は前者で野中正幸は後者ということになるだろう。

*1:松本的な動きがあまりにもスタンダードになったから、という理由だけではないだろう