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吾妻ひでお、マイルス・デイヴィス

論考 雑記 漫画 音楽

革命家は知っている。逃走は革命的で、引きこもりや気まぐれさえも、テーブルクロスを引っ張って、システムの一端を逃げ出させるのなら革命的である。ジョン・ブラウンのやり方で、みずから黒人にならざるをえないことがあるとしても、壁を通り抜けること。(ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ「アンチ・オイディプス」)

機械の系譜学―少女機械

 吾妻ひでおの作品において、機械、アンドロイド、クローン、あるいはサイボーグなどはひとつの重要なモチーフである。「趣味の生活」において、主人公の父親は自分の娘のアンドロイド(=盆栽?)を育てる。「海から来た機械」において、機械は少女の似姿に変形する(生成変化は吾妻ひでおの重要なモチーフのひとつでもある)。少女とその肢体に絡みついた機械。少女に細長い金属棒を咥えさせているロボット。少女と魚型のロケット。etc…。疑うべくもないことだ。吾妻ひでおの作品において、少女とマシンは密接に結びついている。
この「少女とマシンの融合」への志向をさらに一層推し進めたのが内山亜紀であろう。そこでは、サイボーグ化された少女とその肢体に向かって何本も伸びる触手のような機械などのイメージが繰り返し反復される。内山亜紀吾妻ひでおらによる同人誌「シベール」刊行後の80年代ロリータ文化を牽引した、という意味でも吾妻ひでおの正統なる後継者と言うこともできよう(内山亜紀のSF性について、今更何を語る必要があるだろう。彼の「ピンキー・アンドロイド」を一読してそこにSF性を感じ取らない人間がいるとは思えない。これは宇宙を舞台にした、宇宙船長とアンドロイドの少女との恋愛物語なのだ)。(左:吾妻ひでお「スクラップ学園」中央:吾妻ひでお「海から来た機械」右:内山亜紀「妖精人形」)

いちおう確認しておくが、少女とアンドロイドやサイボーグのモチーフを主題化したのは吾妻ひでおが端緒ではもちろんない。その系譜を辿ればリラダン、さらにはE.T.A.ホフマンにまで至るだろう(少女に限定しなければ東欧ユダヤにおけるゴーレム伝説がこの形態の中でおそらく最も古い)。もちろんホフマンの作品内にはナボコフにおける「ロリータ」のような明確なニンフェットは出てこない。しかし不思議なことにホフマンもまた現実生活においては少女愛好家のふしがあった。

1910年、当時34歳のホフマンは14歳の少女ユーリア・マルクにたいする熱烈な恋の虜となった。ユーリアとホフマンの初対面は、それより二年前、ユーリア12歳のときである。(種村季弘「怪物の解剖学」)

リラダンやホフマンにこれ以上の深入りをするつもりはない。この記事は一種の系譜学(むしろこう言うべきか、反―系譜学)であるが元祖争いや本家争いがしたいのではない。問題はなぜ吾妻ひでお内山亜紀が取り憑かれたように少女と機械のイメージを反復したのか、これである。

マシン・ファンク

 マイルス・デイヴィスが電化を進めた時期と吾妻ひでおがデビューした時期がほとんど重なっていることを指摘した論者の存在を私は寡聞にして知らない。吾妻ひでおは1969年、「月刊まんが王」に「リングサイド・クレイジー」を発表してデビューしている。一方、太平洋の向こう側ではマシニックなるものへの欲望を抱き始めたマイルスが自身初の電化アルバム「マイルス・イン・ザ・スカイ」を1968年にリリースしていた。これを単なる「電化=エレクトロニック」と捉えることは早計だろう。なぜなら、それはマイルス自身の「サイボーグ化」をも意味していたのだから。どういうことか。たとえば菊地成孔大谷能生はマイルスの「サイボーグ化」についてこう指摘している。

この時期(筆者注:1968年)からのマイルスは、あらゆる意味での「サイボーグ感」を高めていき、あまつさえそれは「ひょっとして自覚的なのではないか?」というレヴェルにまで至ります。その勢いは、80年代にはあのマイケル・ジャクソンとイメージ重複するにまで接近し、最晩年には「自分のトランペットのサンプル音源化」といったサンプリング/サイバー感覚にまで進むのですが、そのはっきりした顕在化はやはりこの年とするべきでしょう。(菊地成孔+大谷能生「M/D マイルス・デューイ・デイヴィス3世研究」)

菊地/大谷は、バンドの半分だけの電化が内なるサイボーグ感を啓発した、というのを半分の根拠としながらさらに続ける。

そして、「マイルスのサイボーグ感」を形成しているであろう残り半分の根拠は、SM的ともダーク・サイド的とも言える、しかし重要なものです。それはマイルスの身体的状態そのものに由来しています。最悪化するまで放置されていた持病たちは、不惑を過ぎてからの肉体には、手術の要請というかたちで一気に襲いかかり、毎年どこかを手術しているような状態がスタートします。なかでも腰の手術は自己像の変化にとって決定的だったと思われます。(前掲書)

菊地/大谷はマイルスが北米で最初にプラスティック製の人工股関節を移植した人物であること等も指摘しながら、こう結論づける。

痛みとの共生は遍く人類の本性ですが、マイルスの人生を彩る醜悪なまでの「肉体の痛み」は彼にとって伴侶にも似た創造の源であり、痛みを超克しようとする意志が、「独特なサイボーグ/アンドロジーナス感覚」という、あらゆるアンビヴァレンスの見事に整合的な形象化に結実している。(前掲書)

「ロボットでも人間でもない、サイボーグ感(前掲書)」、「半分だけの電化」、「アンドロジーナス感覚」、「アンビヴァレンス」。いうまでもなくこれらの要素は主体に分裂や解離をもたらすだろう。たとえば自身の分身やクローン、もしくはドッペルゲンガー(ホフマン!)。菊地/大谷は野田努の「ブラック・マシン・ミュージック」における「ギャラクティック・ソウル」の概念を持ち出しながら、マイルスは宇宙に向かわずあくまで地上に留まった、と主張する。なるほど確かにそうかもしれない(それでも分裂と解離を代償に、だが)。しかし、マイルスはただ地上に留まったわけではなかった。マイルスは垂直(宇宙)ではなく水平を選んだ。それは「線」。この地上という平滑空間を横切る、一本の「逃走線」。それは速度でもあった。
 マイルスは75年から心身の悪化に伴い実質上の療養期間に入る。そのちょうど10年後の1985年から吾妻ひでおは低迷期に入り、89年に一度目の失踪に至る。マイルスは5年間の沈黙の末、80年に復帰する。それを待っていたかのように、その一年後、1981年に雑誌「レモンピープル」が創刊され、ロリコンムーヴメントが巻き起こる。もう一度確認しておく。マイルスは1968年に電化し、俗に言うエレクトリック・マイルス期に入る。そしてその約10年後の1979年に同人誌「シベール」がコミックマーケットにて刊行、その2年後に「レモンピープル」が創刊されロリコンブームが起こる。マイルスは1975年に低迷期に入る。吾妻ひでおはそのちょうど10年後の1985年に低迷期に入る。この奇妙なシンクロニシティは、しかしちょうど約10年の時差があるのだ。この「ズレ」はいったい何を意味するのか。この問いをいったん宙吊りにしたままこの記事を終える。(もしかしたら続く)