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ツイッターの糞さと新批評宣言

 いやんなっちゃうよもう。いったい何なのさ。
 お前がふぁぼったそのツイートの批評文をさ、具体的にどのあたりが良かったとか、1000文字くらいで書いてみろってんだ。どうせ一文字も書けやしない。書けないならふぁぼるな。現代人に根本から欠如しているのは批評能力だ。何が良いのかすらわからんのにふぁぼってる、思考停止以外のなにものでもない。アホはツイートをフレームで判断して内容を読まない。「フレーム」という言葉は今てきとうに思いついたんだけど、例えばそれは文体とか全体の調子や雰囲気みたいな、要するにツイートを構成するうちの「内容」以外の要素と思ってくれればいい。
 こんなことがあった。ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」をバラバラに分解したものをマルコフ連鎖で適当に連結してひとつの文章っぽいものにする、というbotがあってそいつのツイートをコピペして自分のツイートのように見せかけていくつか投稿したことがある。例えば以下のような文章だ。

それ故「a」と言う。トートロジーは無条件に真であり、非自立性の外に時間的対象を持っていなければならない。(ヘルツの『力学』における力学モデルと比較対象であることを示す、というものなのである。

「対象を考えることはできず、時間の外に時間的対象は名は原始記号および原始記号および原始記号および原始記号である。

しかし、恣意的ではない。(これは表記法全てに共通なものは、次のように表せる。―ちょうど、値を確定しているのでなければならない。そのためには、現実は命題記号自身のうちに含まれ得ないからである。

 案の定アホは全部ふぁぼってきやがった。そのアホは以前から哲学的っぽい単語が入った俺のツイートはすべてふぁぼってくるタイプのアホだったのでどうせ今回もふぁぼってくるだろうと予想していたが果たせる哉、期待にたがわずアホのアホぶりを見せ付けてくれた。フレームがそれっぽく整っていれば内容が滅茶苦茶でもアホにとってはお構いなし(だって読んでないから)、ということのこれ以上ない例証であった。
 フレームの作用というのは強力で使い方一つで支持者や信者を獲得できる。コツは躊躇や留保を文に盛り込まないで何が何でも断言口調でツイートすることだ。確信や断言がフレームから読み取れるツイートしかしないアカウントは支持者が容易に集まる傾向にある(断言)。何故か。それは現代人が思考停止してるから、何も考えたくないから、何かを断言してくれる人間を求めるのだ。思考停止人間にとっては「わかりやすさ」が最重要事項なのだ。
 閑話休題。いずれにせよ「ふぁぼ」というシステムは思考停止化の元凶だと思う。とりあえずふぁぼれば分かったような気になるし、ふぁぼられた側も分かってもらえた気になるからな。とはいえ、この「ふぁぼり」―「ふぁぼられ」という閉鎖的な関係の外部に出ることも簡単ではない。例えば俺が「ツイッターは糞」とか「ふぁぼシステムは糞」とツイートしてもそのツイートすらフォロワーにふぁぼられて「ふぁぼり」―「ふぁぼられ」関係にあっさり回収されてしまう。そういう意味ではふぁぼシステムというのは人間を骨抜きにして飼いならす、実によくできた権力装置とも云えそうだ。例えれば「ふぁぼ」とは餌付けであって「そういう感じのツイートを今後ともしろ」という命令でもある。ふぁぼられた人間はパブロフの犬みたいに同じ人間にふぁぼられるために同じようなツイートを繰り返すようになるだろう。しかしこの云ってみれば猿と猿回しのような主従関係は決して一方的ではなく相互的なので話はもう少し複雑だ。要するに互いに互いを縛りあっているという、互いが猿でもあり猿回しでもあるという、滑稽かつグロテスクな人間関係をそこかしこに見ることができる場所がツイッターなのだ。
 然らばこのような状況を打開する対案はないのであろうか。結論から云えば、このような一言で云えば「糞」な関係に徹底的に欠如しているのは「批評行為」である。批評とはコミュニケーションの手段である。*1*2よって、ふぁぼる時に媒介項として500文字くらいの強制批評文を書かせれば、現状のような牢獄的な関係を脱することに少しでも寄与することができる、少なくともその端緒を押し開くことはできるのではないか、と俺は思っている。

*1:言語によって媒介されない「承認」はその無媒介性ゆえに計り知れない全能感を得ることができる。しかしそれは自己満足的な幻想であって、コミュニケーションではない

*2:さらに付け足しておけば、この場合における「コミュニケーション」というタームが閉鎖的な二者関係におけるコミュニケーションを指していないことは云うまでもない。逆である。批評におけるコミュニケーションは端的に云って絶対的な「外部」を目指す。批評とは神と対話する試みのことである