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無題

 因徹は揺らめく炎を見ていた。ときたま木片が火花とともに爆ぜる音が微かに聞こえる。その音は、まるで何かに生き急いでいるようにも彼には思われた。
 
 天保六年七月某日、赤星因徹は数日後に迫った松平家碁会に臨み某真言宗寺院堂内にて不動護摩供を修していた。事実、それほどの大一番でもあった。本因坊丈和の名人碁所引き下ろしを画策する師因碩が松平家城代家老岡田頼母に働きかけ、老中松平康任の名にて行われることとなった碁会が今回の「松平家碁会」である。師因碩は名人丈和に愛弟子因徹を当てた。それはもちろん作戦でもあった。そのとき因徹は七段であったから、もし丈和が負ければ、そのときは七段に敗れる名人は名人の資格なしとして、丈和を追い落とす計画であった。とはいえ、それもまた一面でしかなかったのである。なぜなら、師因碩は因徹が丈和を凌ぐ実力があるという確かな思いを抱いていたからであり、因徹自身もまた、同じ思いを抱いていたからである。
 この大一番の勝敗によって総ての如何が決するといってもよかった。丈和を名人から引き下ろすチャンスはおそらくこれが最後になるであろう。囲碁史における運命の岐れ道となることは、始まる前からわかっているようなものだった。
 赤星因徹、このときいまだ二十六歳の若さであったという。
 赤星因徹は文化七年、肥後国菊池郡に生まれた。幼名は千太郎、その後十二歳で江戸へ上り井上家の門を叩き、十八歳三段で因徹を名乗った。十八歳三段は碁聖と呼ばれた先人の道策や後世の秀策に比べれば遥かに遅かったといえる。しかし、因徹はスタートの遅さを、身を削る研鑽によってカバーした。二十五歳で七段に到達する頃には、井上門の中でもっとも名人に近い実力の持ち主であることは誰の目にも明らかになっていた。因徹は丈和との決戦の直前、師因碩と手慣らしに対局し先四局を全勝した。
 もはや何も恐れるものはなかった。

 ふと堂内に真っ白い煙が這入ってきていることに気づいた。何処かで香炉を炊いているのであろうか。それとも、精神の極限状態が見せる一時の幻影か。しかし、因徹は、そのとき、朦朦たる香気が鼻孔を擽るのを、たしかに感じたのだった。
 因徹は静かに目を閉じた。

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 俗に云われる「吐血の局」を並べるとき、私はいつも曰く云い難い情念が胸を痛めるのを感じる。丈和の幽玄なる「三妙手」に感嘆するのとも、丈和の力でねじ伏せるような豪腕にカタルシスを覚えるのとも若干違う、ある種のどうしようもない悲哀のようなものをどうしても感じずにはいられないのだ。白百二十の手を初めて盤上に並べたとき、私は一瞬不意を突かれたような奇異の念に打たれたのを覚えている。直前の白百十八からのハザマトビ。通常、このようなハザマ打ちは形があまりよくないと云われる、それだけに運用が難しい打ち方である。もちろん、後から振り返れば、この局、この場面にあってはこの一手以外考えられない、会心の勝着であることは疑い得ない。とはいえ、初めてこの一手を見たとき、私の目には、この手があまりにも、あまりにも飄々とした、少年のように無垢な印象を与えた。一人の人間を打ち殺すには、あまりにも不器用かつ純なように見えて、それが奇異に映ったのである。この白の一手によって、黒石は事実上崩壊し、黒番の因徹は二百十六手をもって投了、そのまま血を吐いて盤側に倒れたという。
 抜き差しならない修羅の場において、なぜこのような、蒼穹を思わせるような軽やかな、とはいえまた一方では不器用にも見える手が打てるのか、しかもそれが勝着であるならばなおのことに。しかし、人間を殺すとは、他者を殺すとは、このようなことではなかったかと、ふとそのように思った。その一手は確かにあまりにも不器用ではある。しかし、そこにはやはりある種の「形」があるのだった。
 
 本因坊丈和の幼年時代は謎が多い。それは本人が己の過去を語らなかったからだ。しかし近年の大沢永弘による研究によって、だいぶ詳らかになってきている。
 丈和は天明七年、伊豆の木負村、五十集商葛野七右衛門の後妻の子で次男として生まれたという。五十集商とは一言でいえば魚商人である。生家の隣に日蓮宗長福寺の庫裏があり、そこの住職に碁を教わった。家業を七歳年上の長男が嗣ぐことになっていたので、次男であった彼は江戸に連れて行かれ棋士の道を歩むこととなる。
 丈和は生涯自分の出自を語ることをしなかった。その沈黙は徹底していて、丈和の三男である中川亀一郎でさえ、「亡父の生国は不明である」と漏らしていたという。なぜ丈和は己の過去について口を閉ざしたのであろうか。恐らくは、伊豆の小さな漁村で行商人の息子として生まれたことに対してコンプレックスを抱いていたのかもしれない。しかし、丈和は本当に自分の過去を完全に捨て去ったのであろうか。私にはそうは思えない。丈和の棋譜には、迫力のある豪腕やスケールのある大局観に支えられた華やかな振り替わりだけではない、何かに耐え忍んでいるような、ある種の苦しみのようなものを伴っているように思われる。盤上には今、この時しかない。しかし盤上の石は、丈和の石は、まるでもはや何処にもない故郷を探し求めるかの如く、彷徨しているようにも思えるのだった。それはやはり一種の「帰郷」ではなかったか。
 白百二十、その囚われることのない、と同時に血が流れるような一手は、丈和の故郷である伊豆の漁港、その波濤の上空を自由気ままに翔ぶ一羽のかもめのようにも見えた。それは同時に寝場所を失ったかもめでもある。だから悲しい。その波路の果てに、生家がある保証は何処にもないから。

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 焼けたアスファルトの上を巨大な戦車のキャタピラが這っていく。何処からともなく怒声と銃声が聞こえてくる。道路はガラスの破片で足の踏み場すらなくなっている。鉄筋がむき出しになった建物の残骸の間から、真っ白い煙が立ち昇るのが微かに見える。
 
 1967年7月25日、この日、デトロイトの街は戦火に包まれていた。切っ掛けは数日前に遡る。23日、市内のとあるバーでは2人のベトナム帰還兵を祝うための82人もの客(そのうちのほとんどが黒人)が集まっていた。無免許営業であった。警官が突入し、店内にいたすべての黒人をパトカーで移送し終える頃には既にバーの外に群衆が集まり始めていた。群衆がやがて暴動に発展し、スーパーや日用品屋の略奪行為に走り始めるのに大した時間はかからなかった。
 もっとも、そこには単純な人種暴動に括れるようなものではない、純粋な暴力があった。

Looting and arson were widespread. Black-owned businesses were not spared. One of the first stores looted in Detroit was Hardy's drug store, owned by blacks and known for filling prescriptions on credit. Detroit's leading black-owned clothing store was burned, as was one of the city's best-loved black restaurants. In the wake of the riots, a black merchant said, "you were going to get looted no matter what color you were."
(「1967 Detroit riot」From Wikipedia

 ここには、自らの暴力性を対象化できていない、行き場を失った純粋な暴力の発現が見られる。それは、言語化し得ない無意味な「叫び」にも似た何かではなかったか。
 25日、時の大統領リンドン・ジョンソンは連邦軍の出動を認めるに至った。黒人は警官と政府軍に対して、ゲリラのようにビルに立て篭もり、ライフルを以って応戦した。以下に野田努の「ブラック・マシン・ミュージック」からの文章を引用する。

 当時のことをジェフ・ミルズは次のように回想している。「暴動が勃発したすぐ近所に住んでいたんだ。家の前には学校があったんだけど、そこにヘリコプターが到着すると、大勢の軍隊と戦車が通りを走りだした。家の窓はすべて閉めて、カーテンも閉めた。戒厳令が敷かれ、ぼくたち家族は暴動のあいだデトロイトを出るしかなかった」
(「ブラック・マシン・ミュージック」野田努

 ホワン・アトキンスとリック・デイヴィス、やがてサイボトロンを結成し、後にデロイトテクノと呼ばれる音楽を最初に地上に鳴らすことになる二人も、やはり同じ光景を見ていたのであろうか。
 正確を期すれば、少なくともリック・デイヴィスはその光景を見ていなかった可能性もある。なぜなら、当時彼は海兵隊員としてベトナムの戦地へ送られていたからだ。しかし、その意味でやはり彼も修羅の場にいた。それはまさしく修羅であった。彼が1982年にホアン・アトキンスと制作した曲「Clear」には、ベトナムの密林を焼き尽くす火炎放射器の炎と、敵=ベトコンの一掃=Clear、という明確かつ慎重に抑圧されたビジュアルが背後にあった。

「クリアー」はクラブから最も遠いところにある。同曲はあくまで、現実に対処しようと、混乱する頭をどうにかクリアーにしようとしている男の歌だ。ワシントンからサイゴンへ、ヴォコーダーを介して何が伝えられたにしろ、リック・デイヴィスはそれを遠い密林の中、自らの手で行った。キッシンジャーの言う「徹底的な」無数の爆撃によってできた空き地の中、文字どおり死にもの狂いで。「"クリアー"は軍事用語だ」とデイヴィスは言う。軍事行動に必要とされる場の確保は、村人全員の虐殺も意味する。「我々の視界をクリアーに」し、やつらの動きを一掃しろ。クリアーは機密命令。存在の改訂。人が消えた虚空。認めようとしない矛盾。空から操る白い支配者。
(「エレクトロ・ヴォイス 変声楽器ヴォコーダー/トークボックスの文化史」デイヴ・トンプキンズ)

 ここには、いわゆるアフロ・フューチャリズムに見られるような、ユートピア的な思考も宇宙的な思考もない。あるのは過酷なまでに荒々しい、叩きつけるような生の現実である。しかし、後のデトロイト・テクノは、それをプラネットなトラックに甘美なシンセサイザーを乗せて表現した、表現せざるを得なかったところに、私はこの音楽の異様さと凄まじさを覚える。どのような境地に赴けば、人は絶望の只中でも甘美な音楽を奏でることができるのか。

当時、リック・デイヴィスはいまだ心的外傷ストレスによる内なる悪魔と折り合いがつけられず、それになんとか対処しようとKORGヴォコーダーに頼ったのだろう。歌詞を訳してくれないかとたずねると(私には「エルサルバトル」しか聞き取れなかった)、デイヴィスは静かにフックの一節を繰り返した――「おまえを殺したくはない。でも仕方がない」
(前掲書)


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 小林秀雄にとっての映画とは、あたりまえの「出来事」を記述することに意義があるのであって、決してそれ以上のものでもそれ以下のものでもなかった。しかし、あたりまえの「出来事」とは、往々にして演出された「劇」よりも理解し難いものがある。

 多くの観衆は、あの場面に失望した、と私は信ずる。なぜ失望したか。彼らが期待していた夢をこの場面は識ってはくれなかったからである。あんまりこれが現実の姿に、平常な現実の姿に似ていたからである。言葉を変えて云えば、日頃低劣なモンタアジュに見慣れていた彼らの眼には、この場面のモンタアジュは少々凝り過ぎていた。
 観衆は湖上の悲劇を待っていた、だが見せられたものはただ水の上の出来事であった。
(「小説の問題Ⅰ」小林秀雄

 この映画観は、そのまま後年のベルクソン論にまで通じている、ように私には思える。たとえ「出来事」という言葉が「運動」や「持続」という言葉に置き代わっても、あたりまえの現実=経験を構成する超越論的かつケイオティックな出来事性、という言語化し難い「あたりまえさ」を如何にそのまま記述するか、という基本テーマは終始一貫していた(ここには当然ドゥルーズ的なテーマとも深い共振性がある)。
 
 アニメを批評する論者は、往々にして「彼らが期待していた夢」を批評対象に投影して語りたがる傾向にあるように思える。彼らはあたりまえの「出来事」を看過する。そして批評に失望する。あたりまえである。ありまえのことが見えていないのだから。彼らには、先人が云った「記号」や「キャラクター」や「マンガ的リアリズム」といった概念しか見えていない。なるほど確かにそれらの概念は漫画に対しては有効かもしれない。しかし、漫画とアニメーションは根本的に異なった表現形態であり、その本質的差異を閑却したところに真の批評は成り立たない。そこには当然「運動」という当たり前の出来事が無視されている。

私の感じは、私がその物のうちにいるのだから、物に対して私の取る視点には依存せず、私は、その物を掴み、その翻訳は全く断念しているのだから、翻訳の為に使う符号にも、私の感じは関係ない。私の得ているものは、物の絶対的な動きである。私が、現に感じているあるがままの物の動きが、あるがままに完全であり、絶対的であるのは、ある詩の魅力が、直視されるがままに完全であり、絶対的であるのと同じ事だ。
(……)機械観は、位置に眼をつけるだけだし、目的観は秩序の方に眼をつけるだけで、両方とも、現実そのものである運動を看過する。運動は、位置やそのその秩序とは異なる。位置やその秩序以上のものとも考えられようし、以下のものとも考えられようが、決して同じものではあり得ない。
(「感想」小林秀雄

アニメを位置や秩序の次元で、つまり静的に捉えるのではなく、アニメの本来的に持つダイナミックな「動き」をそのまま掴み出してくること、これが私にとっての急務の課題となる。
 運動を直知するとは、すなわち意識が対象に働きかけることである。小林秀雄は、量子論を参照しながら、「眼と対象との間に行われるエネルギー交換の作用」と云った。確かに、人間の意識が、主体の精神が存在しない場所においては「運動」もまた存在しないであろう。であるならば、私の意識や精神に「運動」が直に働きかけ、それと同時に「運動」に私の意識や精神が直に働きかける、そのような現場を捉え記述する作業は、意識が対象に働きかけるが故にまさしく「批評」とは云えないか。すくなくとも小林秀雄はそう考えていた。
 このような運動の観点を取り入れなければ、例えば「作画崩壊」のような現象を正確に捉えることができなくなる。ここで云う作画崩壊とは、単なる作画上の技術的な欠陥のことではない。そうではなく、映像として、ラッシュとして見たときは違和感がないにも関わらず、一枚一枚の静止画として見たときに、得も云われぬ違和感を覚える、そのような種類の現象を指す。そこには、「運動」という+αが存在しない。運動という要素を抜き取った瞬間アニメーションは死ぬ。だから静止画の状態のアニメは、運動を抜き取られたアニメは、多かれ少なかれすべて作画崩壊であり、破綻している。しかし、アニメーションを破綻から救い出す「運動」もまた破綻の中からしか出てこない。動きの過剰とダイナミズムが、破綻を破綻の中で、ギリギリの地点に於いて均衡させている。その破綻の中のバランス感覚が、見る者を瞠目させるのだが、やはりそれは当たり前の、自然の出来事であり、そこにはまた当然のように「形」があるのだった。