『失われた未来を求めて』&仕事履歴(2021)

www.hanmoto.com あるいは私の想像力の乏しさによるのかもしれないが、私には依然として本こそあらゆるメディアの中でもっとも完璧なメディアのように思われる。[…]それは後の何世代かの人間に受け継がれる機会を高める複製芸術であり、執筆され印刷されて…

『闇の自己啓発』&仕事履歴

『闇の自己啓発』という本が出ます。僕を含めた四人による共著です。闇の自己啓発作者:江永 泉,木澤 佐登志,ひでシス,役所 暁発売日: 2021/01/21メディア: 単行本(ソフトカバー)江永泉氏(江永泉 (@nema_to_morph_a) | Twitter)が主催する「闇の自己啓発…

『ニック・ランドと新反動主義』 & 最近の仕事と活動

書き上げてしまった自分の文章or本については基本的に一切の興味を無くしてしまう性なので、今回も事務報告的な告知となってしまうことを予めご了承ください。まずは星海社から新書が出ました。 www.amazon.co.jp honto.jp『ニック・ランドと新反動主義 現代…

『ダークウェブ・アンダーグラウンド』を出版します & 今年やったこと

ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち作者: 木澤佐登志出版社/メーカー: イースト・プレス発売日: 2019/01/17メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログを見るイースト・プレスから『ダークウェブ・アンダ…

人工知能はロシア宇宙主義の夢を見るか? ――新反動主義のもうひとつの潮流

■新ユーラシア主義、ロシア宇宙主義、シリコンバレー 現代ロシア思想の一潮流を形成する極右思想、新ユーラシア主義を代表する哲学者にアレクサンドル・ドゥーギンがいる。ユーラシア主義によれば、ユーラシア大陸の他民族を包み込む受容性=帝国性こそがロ…

オルタナ右翼の源流ニック・ランドと新反動主義

イギリスの哲学者ニック・ランド(Nick Land)は、2012年、ネット上に「暗黒啓蒙(The Dark Enlightenment)」*1というテキストを発表し、新反動主義(Neoreaction:NRx )の主要人物の一人になった。詳しくは後述するが、この新反動主義のエッセンスがオル…

海外の『serial experiments lain』コミュニティについて

今年(2018年)は『serial experiments lain』20周年ということで、ファンの有志によるイベント が開かれたり、脚本家の小中千昭氏がブログを開設したりと、各所で『serial experiments lain』を回顧する催しが行われているようです。 そこで、この記事では…

のらきゃっと入門、あるいはサイバーパンク時代の精神分析

キズナアイに代表される企業系Vtuberに対して、個人で技術開発と活動を行うVtuberを、さしあたりインディペンデント系Vtuberとここでは呼ぶ。インディペンデント系Vtuberには例えば、ねこます、みゅみゅ*1、のらきゃっと等が含まれるだろう。彼らに共通する…

『カードキャプターさくら 封印されたカード』感想

『劇場版カードキャプターさくら 封印されたカード』を観て愛について考えない奴はどうかしている。さくらは、二つの異なる「愛」の原理の間で引き裂かれている。 物語は終始、さくらに小狼からの告白に対する「返答」を強いるのだが、そのような重圧の下で…

アニメにおける物体変化を巡る理論 ――作画崩壊、マテリアリスム、世界変革

note.mu以下はたった今思いついた補足。 例えば、ノーマン・マクラレンは、「アニメーションの定義――ノーマン・マクラレンからの手紙」*1の中で、アニメーションを次のように定義した。 コマの上にあるものよりも、コマの間で起こることの方が、よっぽど重要…

noteにダークウェブについて書きました

note.mu note.mu ところで、これは記事の内容とは直接関係はないのだが、グーグルでダークウェブについて検索してみたら、どこかのニュースサイトの記事に行き当たり、そこではダークウェブについての、「危険!」だとか「絶対に近づいてはいけない!」とい…

noteに東山翔論をアップしました。

noteに『東山翔論――絶対的自由へ向けて』をアップしました。 note.mu最終章以外は無料で読めますが、当方万年金欠ですのでsubscribe感覚で購読して頂けると助かります。 とはいえ、はやくも全文を書き直したい(特に4章以降)という誘惑に駆られていますが、…

汚辱に塗れた獣たちの…… ――『ズートピア』試論

こうしたあいまいで、冗長かつ不完全な記述は、フランツ・クーン博士が『支那の慈悲深き知識の宝典』に見られると指摘している記述を思い起こさせる。はるか昔のその著述の中で動物は以下のように分類されている。(a) 皇帝に帰属するもの、(b) バルサム香で…

『Merca β03』に寄稿しました

Merca(アニメルカ)公式ブログ 『Merca β03』(アニメルカ×マンガルカ×ジャズメルカ――) 目次『Merca β03』に木澤佐登志名義で論考「月の徴しの下に――アニメーションにおける器官なき身体」を寄稿しました。 石岡良治さんと泉信行さんと高瀬司さんによるレ…

日記7 (2015.11.28)

2015年11月28日 コミックLO2016年1月号所収の町田ひらく『紙の襞』のストーリーをここでわざわざ要約するつもりはないし、『紙の襞』というタイトルの元ネタは果たして『紙の月』だろうかそれともサルバドール・プラセンシアの『紙の民』だろうか、といった…

日記6 (2015.11.26)

2015年11月26日 またブックオフで本やCDを適当に売って作った金で立川シネマシティの『ガールズ&パンツァー 劇場版』極上爆音上映に行く。 ガルパン劇場版極爆上映、とにかく素晴らしいの一言に尽きる。思えばアニメ作品での立川シネマシティ極爆上映は初め…

日記5 (2015.11.11)

2015年11月11日 三宅唱監督の『THE COCKPIT』はそもそも「クリエイションとは何か」というテーマのドキュメンタリーでもあるので必然的にメタフィクショナルな構造を持っているのだが、とはいえ単純なメタフィクションともいえない「複雑さ」があると思う。…

日記4 (2015.11.2)

2015年11月2日 鬱で何もできず雨も降っているため一日中在宅。シュリヒテ・シュタインヘイガー(ドイツ産の安物ジン)をテイスティンググラスに注ぎそこにアンゴスチュラ・ビターズを数滴垂らして飲む。まるでバーボンみたいな色になるがこれがとても美味し…

日記3 (2015.10.30)

2015年10月30日 シャマランという偉大な「天然」を前にどのような批評をしたところで「天然」といういかなる批評をも飲み込みかねないブラックホールを前には無力なのではないか、というシャマラン映画に向き合った時に常に覚える諦念感。今作においてもPOV…

日記2 (2015.10.1)

2015年10月1日 雨がっぱ少女群の新刊『熱少女』を読み返すごとに、LO作家の中に雨がっぱ少女群ほど自身の中に葛藤と分裂を抱えながらもその分裂を半端な誤魔化しと共に統合せず分裂を分裂のまま生き抜いている作家が他にいるだろうかという思いが強くなる。…

日記1 (2015.8.30)

個人的に書き貯めている日記から一部を抜粋(日記なので思いつきで書き飛ばしている部分あり)。2015年8月30日 ドゥルーズ『マゾッホとサド』読了。なんとなくだがこの本はフーコーに対する当て付けのように思われた。その理由として、まず、この書において…

『リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード』私的私感

アニメーションとは魔法である。なんという単純なアナロジー。なんという分かりやすいメッセージ。しかし、内容と形式が完全に一致したとき、すなわち、アニメーションとは魔法である、というメッセージをまさしく魔法のような完璧なアニメーションによって…

アニメーション・ポリリズム

世界はリズムで満ちている。 例えば、自然には四季の周期があり天体には公転周期や自転周期がある。人体にはサーカディアン・リズムという体内周期がある。 複数のリズムが同時に存在すればポリリズムが生まれる。例えば、サーカディアン・リズムが23時間の…

白石晃士『ある優しき殺人者の記録』についての覚書

●『ある優しき殺人者の記録』は映画についての思考を迫るような映画である。つまり一種のメタ映画である。 ●しかし『ある優しき殺人者の記録』(以下『ある優』)の作中で映画について言及されるシーンは一箇所しかない。(『素晴らしき哉、人生!』について…

『たんぽぽの卵』試論

「この国の隅から隅まで みんなウルサイな――」 ∴ 前期~中期の町田ひらく作品においては一対一であれ一対多であれ、そこには基調となる何らかの人間関係がありまたそこから演繹される何らかの人間ドラマがあった。しかし『たんぽぽの卵』にあっては例えば中…

町田ひらく試論

ふとしたことで不可視の世界を幻視してしまうのではないか、という不安。初期の頃から町田ひらく作品を通底しているオブセッションはこのような種類の不安と関係している。例えば『蜃気楼回線』では間違い電話の留守録が主人公と不可視の世界を偶然に繋いで…

エロリ漫画私感

エロ漫画を読むという孤独な営み、容易な物語化を拒む一回性の出来事としてその都度立ち上がってくるような種類の営みの裏側には、エロ漫画を描くという、ある意味ではよりいっそう孤独な営みが存在している。それは性的なオブセッション等の精神医学的に解…

アニメの瞬き、それと超越論的アニメ批評

手塚治虫がアニメに導入したリミテッドアニメーションと3コマ撮りの手法によって日本独自のアニメのスタイルが確立されたというのがアニメ史における定説だが、なぜそもそも3コマ――1秒に約8枚という少ない枚数でも機能するのか、要は動いてるように見え…

東映という<制度>を自分でブチ壊してみせた高畑勲

白状すると僕は今の今まで高畑勲という存在にまったくと言っていいほど関心を持ってなかったし、『となりの山田くん』も『おもひでぽろぽろ』も観てない自分に、高畑勲について語る資格がそもそもあるとも思えないのだけれども、それでも何かを書かなければ…

アニメと写生文

アニメにおけるリアリズムについて思考するとき僕が最初に考えるのは「文学」だ。周知のように映画はカメラに映った光をそのままフィルムの上に保存する、つまりは生の、リアルそのもののメディアなので「リアリズム」という思想自体があまり用をなさない。…