アニメ

アニメにおける物体変化を巡る理論 ――作画崩壊、マテリアリスム、世界変革

note.mu以下はたった今思いついた補足。 例えば、ノーマン・マクラレンは、「アニメーションの定義――ノーマン・マクラレンからの手紙」*1の中で、アニメーションを次のように定義した。 コマの上にあるものよりも、コマの間で起こることの方が、よっぽど重要…

汚辱に塗れた獣たちの…… ――『ズートピア』試論

こうしたあいまいで、冗長かつ不完全な記述は、フランツ・クーン博士が『支那の慈悲深き知識の宝典』に見られると指摘している記述を思い起こさせる。はるか昔のその著述の中で動物は以下のように分類されている。(a) 皇帝に帰属するもの、(b) バルサム香で…

日記6 (2015.11.26)

2015年11月26日 またブックオフで本やCDを適当に売って作った金で立川シネマシティの『ガールズ&パンツァー 劇場版』極上爆音上映に行く。 ガルパン劇場版極爆上映、とにかく素晴らしいの一言に尽きる。思えばアニメ作品での立川シネマシティ極爆上映は初め…

『リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード』私的私感

アニメーションとは魔法である。なんという単純なアナロジー。なんという分かりやすいメッセージ。しかし、内容と形式が完全に一致したとき、すなわち、アニメーションとは魔法である、というメッセージをまさしく魔法のような完璧なアニメーションによって…

アニメーション・ポリリズム

世界はリズムで満ちている。 例えば、自然には四季の周期があり天体には公転周期や自転周期がある。人体にはサーカディアン・リズムという体内周期がある。 複数のリズムが同時に存在すればポリリズムが生まれる。例えば、サーカディアン・リズムが23時間の…

アニメの瞬き、それと超越論的アニメ批評

手塚治虫がアニメに導入したリミテッドアニメーションと3コマ撮りの手法によって日本独自のアニメのスタイルが確立されたというのがアニメ史における定説だが、なぜそもそも3コマ――1秒に約8枚という少ない枚数でも機能するのか、要は動いてるように見え…

東映という<制度>を自分でブチ壊してみせた高畑勲

白状すると僕は今の今まで高畑勲という存在にまったくと言っていいほど関心を持ってなかったし、『となりの山田くん』も『おもひでぽろぽろ』も観てない自分に、高畑勲について語る資格がそもそもあるとも思えないのだけれども、それでも何かを書かなければ…

アニメと写生文

アニメにおけるリアリズムについて思考するとき僕が最初に考えるのは「文学」だ。周知のように映画はカメラに映った光をそのままフィルムの上に保存する、つまりは生の、リアルそのもののメディアなので「リアリズム」という思想自体があまり用をなさない。…

のんのんびよりの4話は凄かったね

アニメブログやインターネット掲示板の類をまったくといっていいほど見ないので「のんのんびより」4話がどのような評価を受けてるのかまったく知らないのだけれど、個人的には久々のクリーンヒットだった。ここでは主にBパートの例の止め絵長回し演出につい…

レンズ的リアリズムと目玉的リアリズム

「リアリズム作画」と言っても一言でそう簡単に割り切れるわけではない訳で。この作画はリアルだ、もしくはリアルっぽい、と言ったときに、その「リアル」もしくは「リアルっぽい」とは具体的にどういうことなのか、ということをキチンと掘り下げて問われる…

スクリーンの向こう側にあるのが大きな物語であろうとデータベースであろうとぶっちゃけ自分にはどっちでもいいし、どうでもいい。スクリーンの向こう側に物語を志向する人間もデータベースを志向する人間もスクリーン自体は見ていない。自分がアニメを見る…

スクリーンの手前で立ち止まること

野田努が初音ミクの製作者佐々木渉との対談においてこんな発言をしていた。 野田:ブラック・ドッグですかぁ。それは面白いですね。当時のテクノはロックのスター主義へのアンチテーゼというのがすごくあって、自分の正体を明かさないっていう匿名性のコンセ…

ロックから渋谷系へ――「けいおん!」から「たまこまーけっと」へ――

というタイトルだけ思い付いて後は特に何も考えてないんだけど、まあ「けいおん!」と「たまこまーけっと」のOPを聴き比べるだけでもロックから渋谷系への移行が行われているというのは誰の目にも明らかなわけだけれども。トポス論的に見ても「けいおん!」…

雑感

それにしても、と僕は思う。 日本には、アニメに関する批評が存在しない。批評家が存在しないだけでなく、批評の場そのものが存在しない。 (「庵野秀明はいかにして八十年代日本アニメを終わらせたか」東浩紀) 東浩紀が上のように記したのは1996年で、…

『たまこまーけっと』より『ビビッドレッド・オペレーション』のほうが優れている理由

ランドセルの音の有無。ビビッドレッド・オペレーション2話 演出:益山亮司 原画:野中正幸(?) このシーンを見たとき気絶しそうになった。これは完全にホンモノの音を使ってますね。生々しいまでの質感。留め具をあえて外しているあたりも演出の本気度を…

圧縮の快楽

沓名健一が公開沓名塾で「3コマ以上落として再生してるような動きを脳内で補完する快楽がある」みたいなことを云ってた*1けどその通りだと思う。たまこまーけっと2話アバンのフル2コマタイムライン系作画なんて正直どうでもいいのだ。あんな一部の作画オタ…

スカスカした感じ

今週のマギ13話の野中正幸パートは実に素晴らしく、僕はほとんど反射的に「これはもしかしてファンクではないか?」と思ってしまったほどだ。過度の中抜きによるスカスカ感は初期ファンクのスカスカ感(音の隙間)と通底しており、つんのめるようなタメツ…

アニメにおける最小二乗法的線形回帰⇒超コード化と分子的/微分的振動(=揺らぎ)を巡る原理的考察その1 ダンス論/資本主義批判

2012年12月31日付けのNHKニュースWEBに「ことしの有感地震 3000回超」という記事が載っているのを見つけた。NHKオンライン このデータは図らずも日本人の身体感覚そのものの変容をも象徴しているように思われる。人々は常に「揺れ」を感じている、感じず…

読書感想文

東浩紀の「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」を久方ぶりに読んでみた。以下は躁的な状況の下で書き殴ったメモ群から抜粋した感想のようなものである。 東浩紀は、象徴界の権威が失効したポストモダンを、想像界に満たされた幼児退行的かつアナーキズム…

仏界易入、魔界難入

人体欠視症――ふとした拍子に相手の体が透き通るように見えなくなってしまうという奇病に罹った木崎稲子は入院するために訪れた常光寺の境内にある気ちがい病院にて西山老人と出逢う。 たとえば、病院の主のような西山老人は、本堂の畳に紙をひろげて大きい字…

アニメーションにおける記号の問題

田中:ある作品で、キャラの鼻の下に必ず2段影がついてるのが気になって、作監の人に聞いたんですけど、「じゃあ、アオリの時は? 影無いと鼻に見えないよ」って言われたりして。俺は「光源が変わったら、(鼻の下に)影がなくたっていいじゃん」って普通に…

「ゆるゆり」というセカイ系アニメと「Aチャンネル」という日常系アニメの違いについて

「ゆるゆり」の聖地をネットで調べてて思ったけどこのアニメは聖地が日本各地に分散し過ぎではないだろうか。一応「ゆるゆり」の舞台は富山県の高岡らしいけど、回ごとに背景が千葉県になったり吉祥寺(!)になったりするようだし。この意味で「ゆるゆり」…